2025年初夏の某日、ふらっと姫路に行ってきました。
阪神・山陽直通特急に乗って約1時間40分、山陽電鉄姫路駅に降り立ちます。
姫路に来て観光と言えば、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは姫路城ではないでしょうか。
写真提供:姫路市
しかし、今回私が向かったのは姫路城とは逆方向にある手柄山平和公園。
かつて姫路には、国鉄・山陽電鉄の姫路駅前から手柄山の間を結ぶモノレールが運行されていました。姫路を訪れた私は姫路モノレールの遺構を訪ねつつ、かつてモノレールの終点駅があった手柄山平和公園を目指します。
姫路モノレールとは
姫路モノレール、正式には姫路市交通局モノレール線。
1966年(昭和41年)に開催された姫路大博覧会への旅客アクセスを目的に建設された公共交通機関。
開業時の運行区間は国鉄・山陽電鉄姫路駅前の姫路駅から手柄山駅間で、路線距離は約1.6km。
開業時には姫路市南部にある臨海工業地帯への延伸や、市内中心部に環状路線を建設する事が計画されていました。
しかし、博覧会が閉幕すると利用状況は大きく低迷し毎年のように赤字を計上します。
そして1974年(昭和49年)、開業から僅か8年で営業休止。1979年(昭和54年)正式に廃止となってしまいます。
姫路モノレールの足跡を訪ねる小旅行
廃線跡を巡る
山陽電鉄姫路駅を出て南西方向へ。山陽電鉄の高架脇にある建物の屋根からニョキニョキと柱が生えています。
この柱こそ、かつて姫路モノレールが走っていたレールを支える橋脚。この建物の少し先には単独で建っている橋脚もありました。
更に西へ歩くと、姫路モノレールで唯一の中間駅「大将軍駅」の跡地に到着
道路の奥にあるフェンスに囲まれた土地にかつて大きなビル(1~2階は商業施設、5~10階はマンション)が建っており、そのマンションの3~4階部分が駅になっていました。
現役時代の大将軍駅は下の写真のような感じで、モノレールがビルの中にモノレールが突っ込んでいく形になっています。
まるで北九州モノレールの小倉駅を先取りしたような構造ですね。また関西在住の方なら梅田にあるビルのどてっぱらを貫く阪神高速の出口を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。
因みに、この写真は手柄山平和公園内にあるモノレール展示室で展示されている姫路モノレールの模型です。モノレール展示室についても後程紹介します。
大将軍駅の跡地を後にして船場川へ向かいます。
船場川の川沿いには、モノレールの橋脚と共にレールが残っています。
レールが撤去されずに残っているのは、おそらく船場川沿いのみではないでしょうか。
姫路モノレールの遺構は、廃線後暫くは放置された状態でした。しかし1984年(昭和59年)にモノレール設備の落下事故が発生。安全面を考慮し、現在は徐々に撤去されています。
今残っているレールや橋脚も、いずれは撤去されてしまうのでしょうね。
さて、ここからはかつてモノレールの終点駅があった手柄山へ向かいます。
JR姫新線の踏切を渡り
JR山陽本線の高架下を潜り抜け、暫く歩くと手柄山平和公園に到着です。
茶色の大きな建物が、かつてモノレールの終点駅である手柄山駅の跡地です。
現在は「手柄山交流ステーション」となっており、その中に「モノレール展示室」が設置されています。
因みにステーション内には水族館や市民ホールが併設(というか、こちらがメインの施設)されています。
姫路モノレールと聞いて、多くの人が
「大失敗した公共交通」
というイメージを持っているのではないでしょうか。
なぜ失敗してしまったのかを、以下にまとめてみました。
失敗 その① | 前途多難なデビュー | 「姫路大博覧会」へのアクセス路線として開業するはずだった姫路モノレール。しかし天候の影響や用地買収の遅れにより建築工事が遅れ、開業が博覧会の開幕に間に合わず。 また始発駅の姫路駅も、本来予定していた場所から離れた所に設置された仮駅での開業となってしまう。 開業当初からハプニングに見舞われ、市民にはネガティブな印象を与えてしまう。 |
失敗 その② | 高すぎる運賃 | 姫路・手柄山間の運賃は100円。これは令和の貨幣価値に換算すると約800円になります。 因みにモノレール開業当時の国鉄初乗り運賃は20円。更に山陽電鉄の姫路・手柄山間の運賃も20円。 姫路モノレールの運賃は、当時の感覚からするとかなり高額でした。 |
失敗 その③ | 短すぎる運行距離 | 姫路モノレールの開業時の運行距離は僅か1.6km。 この短い距離にもかかわらず、運賃は上記したように高額だった事もあり 「モノレールに乗るぐらいなら、歩きや自転車の方がまし」。 と思っていた市民も多かったそうです。 |
失敗 その④ | 利用しづらいダイヤ | 公共交通機関を最も多くの人が利用するのは、通勤・通学の時間帯。 しかし姫路モノレールの運行ダイヤは、始発が9時台で終電が17時台。 通勤・通学には利用しづらいダイヤとなっていました。 |
失敗 その⑤ | 特殊過ぎる運行方式 | ロッキード式(※)と呼ばれる特殊なシステムで運行されていた姫路モノレール。 この方式を採用した事が、結果的に車両や軌道の保守・修繕に悪影響を及ぼす事になります。 |
※ロッキード式と呼ばれる運行方式の詳細については、多くの鉄道・交通系のサイトやYouTubeチャンネルで取り上げられております。
興味があるという方は、ぜひとも「姫路モノレール ロッキード式」等の検索ワードで調べてみて下さい。
モノレール展示室
早速「手柄山交流ステーション モノレール展示室」へ入館。展示室へは無料で入れます。
展示室にはモノレールの車両が静態保存されている他、姫路モノレールの資料や模型ジオラマ、また日本各地にあるモノレールを紹介する展示等々、その展示内容はかなり充実したものでした。
保存車両の中に入る事も出来ます。
車両の中はこの通り。
「モノレール展示室」は姫路にモノレールが走っていた時代の雰囲気を感じる事ができ、姫路モノレールの歴史を知る事ができる。
とても貴重な資料館でした。
運行距離1.6kmで開業した姫路モノレール。計画では姫路市内を南北に延伸する予定だった事は前述しました。
更に姫路モノレールには姫路市内に留まらない壮大な延伸計画がありました。
その計画とは、姫路モノレールを日本海側まで延伸し姫路から鳥取や舞鶴まで直通させるというもの。
利用者が低迷し、たった8年で休業に追い込まれたという事実を知っている者からすると
「無謀で馬鹿げた計画」
としか思えません。
しかし日本が右肩上がりに成長していた高度経済成長期には、こんな夢物語のような計画は多々ありました。
結果的に姫路モノレールは「むなしく散ってしまった徒花」となってしまいましたが、こんな無謀な計画が地方自治体から立てられたという事が、いかにこの時代の日本が元気だったかを物語っているのではないでしょうか。
まとめ
運行距離は僅か1.6km。
開業時からトラブルに見舞われ、市民からは「お荷物」と言われ、たった8年で休業。
廃止決定後も残った設備は数年間放置され、一時期は姫路市の公式記録にも記載されず、市からは存在そのものが無かったことにされていた姫路モノレール。
しかし2008年(平成20年)2月、旧手柄山駅兼車庫の耐震工事が行われる事が発表されます。
そして2009年(平成21年)10月、ほぼ放置されたような状態で車庫に保管されていた車両をホームに移設する作業が始まり、翌月には車両が一般公開さます。
2011年(平成23年)には耐震工事が終了。その年の4月に「モノレール展示室」がオープン。
かつては姫路市民から無かったことにされていた姫路モノレールに再び光が当てられました。
そんなモノレールの遺構を巡った小旅行。
現存する橋脚やレール、静態保存されている車両を見ながら、かつてモノレールが夢の乗り物と言われ日本が右肩上がりの成長を遂げていた時代に思いを馳せながらのものとなりました。
今回はかつて姫路市内を走った伝説的公共交通機関、姫路モノレールの遺構を巡る旅のレビューをしました。
当記事を読んでの、ご意見・ご感想等を頂ければ幸いです。
【参考資料・文献】
●Wikipedia:姫路市交通局モノレール線
●姫路市ホームページ:旧姫路モノレールについて知りたい FAQ
●鉄道ホビダス:【旧姫路市営モノレール】一般公開に先立ち一日限定で公開へ
●とれいん工房の汽車旅12ヶ月:37年間放置プレイされていた姫路モノレール手柄山駅がついにオープン
●もへじ【交通・土木・廃墟解説】:【定期券が2枚しか売れなかった】始発9時 終電17時の通勤電車 姫路モノレール
●ゆっくり鉄道博物館:甘すぎる想定で10年も持たずに廃線となった「姫路モノレール」はなぜ大失敗してしまったのか…?
●父さんの昭和:【個人所蔵8ミリフィルム】【廃駅】電鉄兵庫駅から電鉄姫路、そして姫路モノレール 昭和43年撮影
※クレジットの無い写真は筆者撮影
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